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  • 核兵器のない明日へ:9月26日に私たちができること

    「核兵器の全面的廃絶の国際デー」は、毎年9月26日に制定・実施される国際的な記念日です。この日は、核兵器の危険性を改めて認識し、全世界で核兵器を廃絶すべきという意志を新たにする機会とされています。この記念日が制定された背景には、核兵器廃絶をめぐる国際的な努力と懸念の高まりがあり、2013年、国連総会は「核軍縮および核兵器の全面的廃絶を強化するための高レベル会合」を開催しました。その会合は、核兵器の廃絶という目標を改めて国際社会が共有すべきだというメッセージを強める場となりました。 日付選定の意味:1983年の警報誤報事件との関係 9月26日という日付には、意義深い “偶然の一致” も指摘されているそうです。それは、1983年9月26日に、旧ソ連(当時)の早期警戒システムにおいて、米国からの核ミサイル攻撃を誤報とするシステム故障が発生し、一時的に核発射を検討した可能性があったという事件があるためです。もし判断が遅れていれば悲劇が起きた可能性もあったとされるこの事件は、「核軍備と警報・制御システムのリスク」を象徴するものとして語られているそうです。 ただし、公式決議文そのものにはこの警報誤報事件への言及は含まれておらず、日付を選んだ際にはこの歴史的な偶然性を明示的には挙げていないそうです。 日本国内での焦点 日本においては、「日本核兵器廃絶キャンペーン」が、国連情報センターと連携し、東京などで関連イベントを共催する活動をされています。日本は、広島・長崎での被爆の歴史を持つ「被爆国」であり、核兵器廃絶をめぐる国内世論や政策議論には特別な重みがあります。 国際デーや種々の催しは象徴的・啓発的意義を果たしますが、それを現実につなげていくには多くの課題があります。 核兵器を巡る現況 — 増大するリスク 現在、世界には1万七千発程度の核兵器が存在すると推計されています。 ロシアや中国、アメリカなど大国が相互の核戦力やミサイル技術を強化する姿勢を見せており、それが他地域の軍備増強を誘発する「スパイラル」の危険性も指摘されています。 核技術の平和利用という名目を装って拡散リスクを高める動き、あるいは非国家主体への技術流出リスクといった懸念も見過ごせないと思います。 記憶と意志を行動に変える日 9月26日の「核兵器の全面的廃絶の国際デー」は、単なる記念日ではなく、核兵器という人類最大の脅威に対して、意志と行動を問い直す日です。歴史的背景と制度的枠組みを確認し、より実践的な運動や政策的連携、若い世代への継承が問われていることがわかります。 日本は被爆国でありながら、禁止核兵器条約に未加盟という現状を抱えています。そのギャップをどう埋め、国内外の運動と政策をつなげていくかが、今後の大きな課題だと思います。また、世界的には核の軍拡・抑止主義の動きが逆流として圧力をかけつつあり、それをどのように抑え、脱却の道に転じさせるかが問われています。 「記憶を風化させない」「被爆の実相を伝える」「政策と市民の意志を接続する」——こうした取組を一つひとつ積み重ねていくことこそが、9月26日の精神を生かす道だと思います。皆がこの日をきっかけに、自らの言葉で考え、声をあげ、行動できるような世界になれば良いと感じています。

  • 脇役だったかいわれ大根が主役になる日:9月18日 “芽吹きの香り”を感じて

    かいわれ大根の日は、1986年に、当時「日本かいわれ協会」(現在は日本スプラウト協会)によって制定されました。 記念日制定の協議をした会合が9月 で18日は、数字の「8」の下に「1」 を置くと、かいわれ大根の姿(芽と茎が伸びる様子が、 かいわれ大根のような形に見える )になることから、この形状を模したものとしてこの日が選ばれています。 この記念日の目的は、「無農薬の健康野菜であるかいわれ大根にもっと親しんでもらうこと」。かいわれ大根の持つ栄養・風味・食文化としての魅力を、より多くの人々に知ってもらいたいという思いからとのことです。 また、かいわれ大根自体は古い歴史をもっており、平安時代の文献にも登場します。特に、「黄菜(おうさい)」と呼ばれるもののひとつとして記録され、「さわやけ」とも呼ばれていたという記述があり、昔から日本の食文化の中で育まれてきた野菜だそうです。 かいわれ大根の栄養価:小さな芽に秘められたパワー かいわれ大根は、大根の新芽。つまり「スプラウト野菜」のひとつです。スプラウトは成長のエネルギーが凝縮された食材で、かいわれ大根もまた栄養の宝庫。 ビタミンC、ミネラル類も豊富。栄養がありながら、カロリーは低く、100gあたり約20kcal程度。ダイエット中でも安心して取り入れられるのも魅力です。かいわれ大根は「小さな芽の形をした、栄養のエネルギーカプセル」なのです。 感情を込めて考える---かいわれ大根の日に寄せて いつもの料理にちょっと振りかけるだけで、視覚と味覚と香りのアクセントになる かいわれ大根。小さいけれど、強い。生命力の象徴であり、栄養価の宝庫であること。ピリッとした辛さやシャキシャキした食感は、存在自体が「生きている野菜」の証し。普段は薬味だったり飾りだったり、名脇役のポジションにいることが多いけれど、記念日として主役になるとき、その存在意義がぐんと深まりますね。個人的には納豆と海苔とかいわれを巻いて食べるのが大好きです。

  • 今日はハヤシの日!知って食べたいハヤシライスの秘密

    「ハヤシの日」は、洋食・ハヤシライスの生みの親とされる「早矢仕有的(はやし ゆうてき)」さんの誕生日である、9月8日にちなんで制定されました。 早矢仕有的 さん は1837年9月8日、岐阜県美濃国武儀郡(現在の岐阜・山県市)で生まれ、医師を志していたものの、福澤諭吉に師事して「丸屋商社」を創業し、後に総合商社となる「丸善」の前身を築いた人物です。彼が訪日する外国人の客人をもてなすために“ありあわせの肉や野菜をご飯とともに振る舞った”ことが、後に「早矢仕さんのライス」と呼ばれるようになり――それがやがて「ハヤシライス」として広まった、というのが一般的に語られる起源だそうです。そしてこの“ハヤシライス”にまつわる文化を伝え続けたいとの想いから、2016年に株式会社丸善ジュンク堂書店が「ハヤシの日」として制定し、日本記念日協会に登録されました。 ハヤシライス文化と丸善の歩み 1954年(昭和29年)には、丸善日本橋店の屋上レストランで「丸善のハヤシライス」として提供が始まり、半世紀にわたる人気を博しました。 1989年(平成元年)には創業120周年を記念して、洋食シリーズ缶詰「新厨房楽」を発売。 2016年(平成28年)9月には、レトルトパックシリーズ(「ハヤシビーフ」など)を発売し、家庭でも手軽に楽しめるようになりました。 こうした取り組みが、“食の文化”としてのハヤシライスの普及に寄与しているのです。 一般的に、カレーライスが、ルーがベース。ハヤシライスは、デミグラスソースがベースとされています。 2025年「ハヤシの日」の特別イベント 2025年も「ハヤシの日」を記念して、丸善ジュンク堂書店が全国でさまざまな特別キャンペーンを展開しています。 ■ 数量限定:トートバッグセットの販売(9月2日~) Aセット:新厨房楽「ハヤシビーフ」3個+小トートバッグ 税別1,800円 Bセット:同5個+中トートバッグ 税別3,000円 Cセット:同10個+大トートバッグ 税別6,000円 ※B・Cセットは丸善 丸の内本店・日本橋店限定、他店舗はA・Bセットのみ取り扱い 引用: 9月8日は「ハヤシの日」~ハヤシライスの生みの親とされる丸善創業者 早矢仕有的の誕生日~(PRtimes) https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000080.000027516.html?utm_source=chatgpt.com 9月8日の「ハヤシの日」は、堅苦しい記念日ではなく、もっと気軽に楽しめる“食のイベント”ですね。早矢仕さんが残してくれた一皿は、丸善のレストランやレトルト食品を通じて全国に広まり、今や誰もが知る洋食の定番になりました。今年も各地の書店カフェやレストランで特別メニューが登場し、限定グッズも用意されています。せっかくなら記念日に乗っかって、友だちや家族と「今日はハヤシの日だから!」と口実をつくって食べてみるのもいいですね。甘酸っぱくてコクのあるソースを一口ほおばれば、ちょっとした非日常を味わえるはず。9月8日、気取らず、笑顔で、ハヤシライスを楽しむ。それだけで、日常がほんの少し特別になるのが「ハヤシの日」の魅力ですね。

  • 防災の日2025:過去の教訓から学び、未来への備えを考える

    毎年、本日9月1日は、日本において「防災の日」と定められています。この日は全国で防災意識の再確認や訓練が行われ、多くの自治体や団体がイベントを展開する重要な日です。 防災の日が9月1日に定められた背景としての理由は大きく2つです。 関東大震災:1923年9月1日、マグニチュード約7.9の大地震により、東京・関東地方を中心に甚大な被害が発生し、死者・行方不明者は10万人以上とも言われています。 台風シーズン(雑節「二百十日」) 暦の上では「二百十日」にあたるこの頃は、台風の襲来が多い時期で、1959年の伊勢湾台風も甚大な被害をもたらしました。 この日を境に、災害への備えを常に意識するため、1960年に「防災の日」が成立し、その周辺1週間が「防災週間」と定められ、全国的な啓発活動が行われるようになりました 。 私たちにできる「防災アクション」 「防災の日」をきっかけに、自宅や地域でできる備えについて、考えてみましょう! 1、「防災グッズの点検」  非常食・水・懐中電灯・電池の使用期限や機器が正しく動くかをチェック。定期的な見直しが重要です。 2、「避難場所・ハザードマップの確認」 ハザードマップを活用し、自宅や通勤・通学ルートの危険性を再確認。避難ルートや家族の集合場所も話し合っておくと安心です。 3、「家族・地域との連携強化」 日頃から家族や近隣と防災の話題を共有し、緊急時の助け合い方や連絡方法を確認しておくと、災害時の安心につながります。 備えは暮らしの中に ― 横浜防災フェア2025と防災の日 例年、横浜赤レンガ倉庫で開催される 【横浜防災フェア2025】という 大規模イベント。今年も9月6日・7日に実施予定で、防災車両の展示、消防音楽隊の演奏、ステージイベントなど盛りだくさんの内容とのことです。 防災の日は、特別な一日ではなく、日常を映す鏡のような存在です。大きな備えは難しくても、非常食を見直す、家族と避難場所を話し合うといった小さな行動なら今日から始められます。私たち一人ひとりの心がけが、地域全体の強さにつながり、未来の安心を形づくります。災害は忘れた頃に訪れるもの。だからこそ「いつもの生活の中で備える」という姿勢こそが、最も大切な防災なのです。

  • 発明から67年―8月25日は即席ラーメン記念日 インスタントラーメンの軌跡

    毎日の食卓に、あるいは夜食や小腹が空いたとき、私たちの強い味方となってくれるのが即席ラーメンです。手軽で美味しく、しかも世界中に広がった日本発の食文化。その原点となったのが1958年8月25日に発売された日清食品の「チキンラーメン」です。この発売日を記念し、日本記念日協会によって「即席ラーメン記念日」が制定されました。 即席ラーメン記念日の経緯 発明の背景→戦後の日本は、食糧難の時代。そんな中、「誰もが手軽に、美味しくて栄養のあるものを食べられるようにしたい」という思いから、日清食品の創業者・安藤百福氏は研究に取り組みました。研究小屋で試行錯誤を繰り返し、油で麺を揚げて乾燥させる「瞬間油熱乾燥法」という画期的な技術を生み出し、ついに「お湯を注げば3分で食べられるラーメン」を完成させたのです。 チキンラーメン誕生 1958年8月25日、日清食品は世界初の即席ラーメン「チキンラーメン」を発売しました。当時、うどん1玉が6円の時代に、85グラム入りで35円とかなり高額でした。しかし「保存がきく」「すぐに食べられる」「美味しい」という利便性が評価され、爆発的な人気を博しました。これにより、日本人の食文化は大きな変化を遂げ、のちに「カップヌードル」など数々の製品へと進化していきます。 記念日の制定 この歴史的な出来事を記念し、日本記念日協会により8月25日が「即席ラーメン記念日」として登録されました。毎年この日には、発明者の功績をたたえ、また即席ラーメンが世界に広げた日本食文化の魅力を再確認する機会となっています。 即席ラーメンがつなぐ過去と未来 1958年の「チキンラーメン」発売から67年。今や即席ラーメンは、世界中で愛される食文化へと成長しました。忙しい日常の中で手軽に楽しめるだけでなく、被災時の非常食としても頼りになる存在です。また、世界中でアレンジレシピが広がり、食の多様性を支える大きな役割も果たしています。3分で完成する一杯のラーメン。その背後には、数年にわたる研究と挑戦、そして食文化を変革した大きな物語が隠れています。8月25日「即席ラーメン記念日」は、そんな物語を思い出しながら、私たちが普段何気なく食べている一杯に込められた価値を感じる日でもあります。今年は、ぜひ記念日に合わせて即席ラーメンを楽しみ、その歴史と未来に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

  • 夏を繋ぐ一球─8月18日 “高校野球記念日”が刻む青春

    日本における「高校野球記念日」は、 大正4年 ( 1915年 )8月18日に、大阪府豊中市の豊中球場(豊中グラウンド)で第1回「全国中等学校優勝野球大会」が開幕したことに由来します。当時の大会には、各地区の予選を勝ち抜いた10校(東北・東海・京津・関西・兵庫・山陽・山陰・四国・九州の9地区と、春の東京都下大会優勝だった早稲田実業)が参加し、8月22日に決勝戦が行われ、京都二中が秋田中を2–1で破り初代優勝を果たしました。 大会は順調に発展し、第10回大会からは兵庫・西宮市にある阪神甲子園球場が開催地となります。そして1948年の学制改革を経て、大会名は「全国高等学校野球選手権大会」と改称され、今なお「夏の高校野球」「夏の甲子園」として国民的な注目を集める大会へと成長しました。 記念日にまつわる伝統・象徴 当時は、完全な野球規則がなかったそうで、この時に、試合前後の礼式(あいさつ)を採用し、現在まで受け継がれています。平岡寅之助副審判委員長は「徳義を重んじる勇者の試合には、必ず付随すべき礼儀として制定した」と話しており、西洋で生まれたスポーツマンシップの精神とも相通じる作法となりました。これは、野球だけではなく、多様性多様性といいように解釈された今でもずっと受け継いでいって欲しいものですね。 また、開幕式・伝統の演出現代では、開幕試合の始球式で朝日新聞社のヘリコプターからボールが投下される演出や、敗者・優勝者問わず選手が甲子園の土を拾って持ち帰る風習も広く知られていますね。 2025年の今年の第107回全国高等学校野球選手権大会は… 2025年の大会標語は、三年級生・名渡山乃愛さんの投稿「心をひとつに夢の先まで!」が採用されました。中嶋設備のある神奈川県大会は、172チームが出場し、横浜高校が出場いたしました。 また、熱中症対策と試合時間の工夫として、ここ数年続く「酷暑」への対応として、昼間の気温が最も高くなる時間帯(正午〜午後2時頃)は試合を組まないという運営方針が継続されています。甲子園球場は直射日光を遮るものが少なく、グラウンド上の体感温度は40度を超えることもあり、熱中症リスクが極めて高い環境です。選手の安全を守るために、組み合わせや日程に「インターバル」と呼ばれる休憩時間を導入し、試合の開始時間を午前中と夕方以降にずらす工夫が行われています。この取り組みは2023年から試行的に導入されたもので、2025年はさらに徹底された形となりました。試合が中断する時間帯には、観客席でもミストシャワーや氷のう配布、給水所の設置などが実施され、球場全体で「安心して野球を楽しめる環境づくり」が進められています。 こうした運営方針の背景には、「スポーツは健康のための活動であり、命を危険にさらしてまで続けるものではない」という考え方の広がりがあります。従来の「炎天下でも全力で戦う」姿に憧れる声も根強い一方で、選手たちの将来や健康を優先する方向性は、今の時代に合った変化なのでしょうね。 100年を超えて輝く青春─高校野球が問いかけるもの 青春の結晶としての高校野球夏の甲子園で全力を尽くす姿には、努力・友情・敗北と栄光が交錯する、人間らしい美しさが詰まっています。あの一瞬にかける熱意は、数えてきた100年以上の歴史が物語っているように思います。8月18日に始まった大会は、礼を重んじる精神や土を拾う儀式など、形として残る文化が多く受け継がれています。一方で、標語の公募や休養日の設定など、現代の選手や観客に優しい配慮も行われており、日本のスポーツ文化の柔軟さと進化を感じさせます。未来を担う若者たちは希望の光であり、その背中を見守る私たちにも何かを問いかけてくれます。

  • 8月5日は日本のタクシー誕生日?日本初のタクシー運行から100年以上!本日はタクシーの日

    タクシーの日は、1912年8月5日に日本で初めてタクシーが運行を開始したことに由来するのは明確らしいのですが、そもそもタクシー自働車株式会社の設立日が8月5日ではなく7月10日ではないか?…という点や、開業予定日は当初8月5日だったが、実際に営業を開始したのは8月15日であるという説もあるそうで、会社設立日?営業開始日?明確なことはよくわからないそうです。ただ、100年以上も前の話ですし…この時期の何かのターニングポイントの日にちであることには間違いなさそうなので、あまり正確でなくてもよいのではないかな~と、個人的には思いました。 「距離でお金」を可視化した革命──運賃メーターの登場 1912年に日本で初めて「メーターを付けたタクシー」が営業を開始ししました。当時の車両に「距離制運賃」を明確化する為に「タクシーメーター」を装備したもので、革新的な出来事でした。現在、日本の法律では、タクシー業務適正化特別措置法で「一般乗用旅客自動車運送事業を経営する者がその事業の用に供する自動車でハイヤー以外のものをいう。」と定義付けられています。距離制運賃を適用しない場合は、運賃メーターの設置義務は無く、介護タクシーのほか、都市部以外のハイヤーがない地域の時間制運賃専用のタクシーでは、運賃メーターが設置されていない場合もあります。 タクシーはどこへ向かうのか──未来の“移動”と共に 初めてのタクシー運行から100年以上が経過した現在、日本のタクシー業界は大きく発展し、日常生活の重要な一部となっています。都市部では、タクシーは重要な交通手段であり、多くの人々が日々利用しています。また、観光地ではバスよりも、タクシーを使うのが一般的ですよね…。観光客にとって便利な移動手段として親しまれています。ただ年々ドライバー不足が取り沙汰され、高齢化、賃金の問題や自動運転やライドシェア、AIを使った無人運転…などこれからの100年はまた違ったタクシーの関わり方になっていくのかな…と思います。 日本語のスラングとして、車のことを「ハコ」と言うことがあるので、8月5日(ハコ)はその語源からだと思っていました(笑) 8月に入り暑い日が連日続いております。体調管理に気を付けてお過ごしください。

  • 7月29日はアマチュア無線の日 電波でひろがる世界 ― アマチュア無線の日に込められた想い

    毎年7月29日は、日本のアマチュア無線家にとって「アマチュア無線の日」です。この記念日は、戦後まもなく (1952年)運用再開が認められ、全国の30局に予備免許が発給されたことにちなんで 、「アマチュア無線の健全な発展」「科学技術の普及向上」を目的に日本アマチュア無線連盟(JARL)が制定しました。 アマチュア無線の日の由来と歴史 戦時禁止から再開へ 1941年12月8日、太平洋戦争の勃発とともに、アマチュア無線は日本で公式に禁止されました。その後、約11年間(戦中から戦後)にわたり無線の運用は厳しく制限された状況が続きました。 1952年7月29日、日本がサンフランシスコ平和条約によって主権を回復した後、電波法に基づき、全国で30名にアマチュア無線局の予備免許が交付されました。これが事実上、戦後初のアマチュア無線の再開の象徴的な日になります。 記念日の制定 この「再開の日」を讃えて、1973年(昭和48年)に日本アマチュア無線連盟(JARL)が公式に「アマチュア無線の日」を制定。以来、毎年7月29日に記念行事や特別運用が行われています。 アマチュア無線がハムと言われる由来とは? アマチュア無線家はハムと呼ばれておりますが、その由来はいくつかあるようで、略語説として、「アマチュア」の英語表記の「amateur」の最初の2文字を取り、発音しやすいよう先頭に「h」を付けた説や、ノイズ音説として、無線使用時に鳴る低周波ノイズの「ブーン」という音をハムノイズと呼ぶからその名が付いた説。また、演劇界では「アマチュア→ 大根役者」を指す一種の隠語があり、大根役者のことを英語では「ham」と呼ぶことが由来説…など諸説あるそうです。 2025年に開催される無線イベント アマチュア無線の健全な発展と技術の向上を図るため、これらに関する展示や催事を おこない、一般の方々にアマチュア無線について広く紹介するとともに、 アマチュア無線家の情報交換と友好を深めることを目的に開催されます。今年で47回目の開催となるハムフェアは「GYM-EXで はばたこう アマチュア無線の世界」を キャッチフレーズに、新たな仲間との出会いと情報通信への理解を深め、アマチュア無線の楽しみ方を呼びかけています。 ハムフェア2025(アマチュア無線フェスティバル) 開催日:2025年8月23日(土)~24日(日) 会場:東京・有明 GYM‑EX(江東区有明) 特別記念局の展示、工作教室、自作品コンテスト、実機展示、クラブコーナーなど多数のプログラムを展開。キャッチコピーは「GYM‑EXで はばたこう アマチュア無線の世界」 入場料:一般2,000円、JARL会員・障害者手帳所持者1,000円、22歳以下は無料 引用:一般社団法人 日本アマチュア無線連盟 アマチュア無線フェスティバル ハムフェア2025 開催概要 https:// www.jarl.org/Japanese/1_Tanoshimo/1-3_Ham-Fair/2025/Ham-Fair-gaiyo.htm 電波にのせてつなぐ心 〜アマチュア無線の日に想うこと〜 アマチュア無線は、送受信技術だけでなく、自作・DX・EME・衛星通信のような先端技術の学びにもつながり、コミュニティと世代交流や、クラブ同士・師弟関係・若手とベテランなど世代や地域を超えた交流が深まる場として、直接の交信を通じて友情と技術の継承が進んでいくのだと思います。7月29日の「アマチュア無線の日」は、アマチュア無線が禁止されていた時代から再開された歴史を振り返る日です。再開された最初は30人からスタートし、 現在 日本アマチュア無線連盟(JARL)の会員数は、近年減少傾向にありますが、2024年2月末時点で35.9万局となっております。興味のある方は ぜひ。

  • 大暑から立秋へ──夏の折り返し地点の2025年7月22日

    大暑(たいしょ)──二十四節気の一つとして最も暑さが厳しくなる時期です。 大暑は季節の変わり目を表す二十四節気のひとつで、定気法にて太陽黄経が120°のとき となります。 今年は、2025年 7月22日。 中央標準時7月22日 22時29分、快晴が続き気温が日に日に上昇していく時季を迎え、一年のうちで最も暑いときが続くことからその名が付いております。また、 次の節気である「立秋」までの約15日間をいいます。季節の区切りは古代中国から伝わり、日本でも平安時代から朝廷・農家に取り入れられてきました。農事暦として作物の播種や収穫、雨水管理などの目安となり、現代にも伝統行事や気象観測の指標として息づいています。 2025年の大暑。ここ最近は異常な暑さ…この夏の気候模様は? 今年2025年の大暑、特に7月22日から28日にかけては、日本全国で例年以上の猛暑が予想されています。 全国的な記録的高温の可能性:都心部だけでなく地方でも35℃以上の猛暑日が継続し、熱中症リスクのさらなる増大が懸念されています。 水無月の水不足:太平洋高気圧が強い影響を与え、降水量が少ない傾向にあり、農業用水や家庭の水利用に制限が出る地域もありそうです。 夜間の熱帯夜続き:エアコンが手放せない生活が日常化し、屋内の気温管理や電力需給の節約が大きな課題になります。 これらの「猛暑+水不足+電力需要」三重苦をバックグラウンドに、今年の夏は例年とは違った「夏との向き合い方」が求められています。 自然の風景と文化の変化 稲はちょうど穂が出揃い、これから成熟期へ。麦茶色に染まる田んぼに、穂の青さと白い花が混ざって涼感を呼びます。ハウス栽培の夏野菜(トマト、きゅうり、ナス)も最盛期で、直売所では「朝どれ」新鮮野菜が並びます。また、本来であれば、セミの鳴き声が最も激しくなる時期。ミンミンゼミ、アブラゼミ、ツクツクボウシ...夏の音風景が生活に彩りを添えます。夜にはクマゼミの大合唱が響き、昼夜の気温差が少ない熱帯夜ならではの風情となります。ただ、暑すぎるが故に、鳴かないという情報も最近よくきかれます。 大暑から立秋へ──夏を越えてゆく物語 大暑が訪れると、「真夏の絶頂がもう始まっている」ことを感じます。日の出は最も遅く、日の入りも遅い日となります。ここ最近の記録的な暑さと向き合うこと、自分自身の体と心の声に耳を澄ますこと、和の知恵を生かすこと… 大暑を超えることで、やがて立秋へと季節は歩み出し、ほんの少しずつ風の匂いが変わっていくことでしょう。早く過ごしやすい日々がくるまで、皆様ご自愛くださいませ。

  • 宇宙と地上をつなぐ花―7月14日は「ひまわりの日」

    今年の梅雨明け宣言は無いまま行くのか分かりませんが、本格的な夏の足音が近づく7月14日。この日は「ひまわりの日」として、日本で静かに、しかし確かな意味をもって記念されている日です。実はこの日、1977年7月14日に日本初の静止気象衛星「ひまわり1号」がアメリカ・ケネディ宇宙センターから打ち上げられた日です。それまでの気象観測は地上からの限られた情報や、断片的な航空データが頼りでした。しかし、この気象衛星の登場により、日本は常に宇宙からの視点で地球の天気を監視できるようになったのです。 「ひまわり」という名前には、空を見上げて太陽を追いかける花のように、地球を見続ける衛星の姿が重ねられています。単なる植物の名前を超えて、科学技術と自然をつなぐシンボルとなったのです。その後、「ひまわり2号」「3号」へと続き、現在では「ひまわり8号」「9号」が運用中。私たちが天気予報で目にする雲の動き、台風の進路、突然の大雨の予測など、すべてこの「ひまわり」のおかげです。今では当たり前になっている災害情報の精度は、まさにこの日から始まったと言っても過言ではありません。 花としての「ひまわり」も意味深い存在 「ひまわり」という名前が記念日に使われる背景には、その花自身が持つ魅力もあります。 ひまわりの花言葉は、「あなただけを見つめる」「憧れ」「情熱」など。「あなただけを見つめる」は、日の入りから日没まで、ずっと太陽の方向を向いているからだとか… その大きく明るい花姿は、どこか人の心を励ますような力を持っています。実際、病院や学校など、ひまわりの絵やシンボルが使われる場所は多く、「前向きな力」の象徴としても親しまれています。また、最近では「ひまわり畑でのプロポーズ」や「ひまわりのブーケ」など、特別な日の演出にも使われることが増えてきましたね。そんなひまわりが、宇宙開発のの日と重なり、「ひまわりの日」としてあるのが、どこかロマンチックな感じですね。 2025年の「ひまわりの日」関連イベント情報 2025年も全国で「ひまわりの日」にちなんだイベントが予定されています。夏本番を前に、ひまわりの鮮やかな黄色に包まれて、季節の喜びを感じられる催しが目白押しのようです。少し検索したら色々出てきたので、ここに紹介します。 ◆ 静岡県・沼津市「浮島ひまわり祭り」 開催日 :2025年7月20日(日) 場所 :浮島ひまわりらんど 特徴 :耕作放棄地を活用した約2万5千本のひまわり畑。地元音楽アーティストによる野外ライブや、「浮島ニッコリ市」での地産品販売も同時開催。のどかな風景と音楽が融合した、癒しのイベントです。 引用: 地域NEWS 号外NET 沼津市 https://numazu.goguynet.jp/2025/07/14/post-14867/ ◆ 東京都・東京ミッドタウン「HIMAWARI MID GARDEN」 開催期間 :2025年7月18日(金)~8月31日(日) 概要 :都会の中心で楽しめる「ひまわりアート」。約2,000本のひまわりと風鈴のインスタレーションが設置され、訪れる人々を涼やかに包み込みます。夜はライトアップされ、幻想的な世界が広がります。 引用: HIMAWARI MID GARDEN https://www.tokyo-midtown.com/jp/event/7567/ まとめ 「ひまわりの日」は、私たちが空を見上げる意味を、改めて思い出させてくれる日ですね。 普段は何気なく見ている天気予報。その背後には、1977年に飛び立った一つの衛星と、それを支える無数の技術者たちの努力があります。そして、その衛星に名付けられた「ひまわり」という名前には、自然とテクノロジーの美しい融合が込められています。

  • 星に願いを。七夕の夜に、祈りを結ぶ物語。変わる七夕、変わらない願い──令和の今、どう過ごす?

    本日、7月7日は、七夕(たなばた)です。日本の夏の風物詩として古くから親しまれてきた行事であり、その起源は中国の「乞巧奠(きっこうてん)」にあります。織姫(おりひめ)と牽牛(けんぎゅう、彦星とも)の恋人たちが年に一度だけ会うことを許されたラブストーリーが有名ですが、実はこのお話は日本独自のものではなく、奈良時代頃に中国から伝わったものだそうです。川の東に住んでいた天帝(てんてい:中国の儒教および道教で信仰されている最高神)は、娘であり機織の上手な織姫と、対岸に住んでいる働き者の牛飼い・牽牛を結婚させました。ところが二人は結婚すると楽しさにかまけて仕事をしなくなってしまい、怒った天帝は二人を引き離して年に一度、7月7日だけ逢うのを許したというお話です。この物語「乞巧奠(きっこうてん)」とは、技が「巧みになるように祈る(乞う)」という意味。織姫にあやかって手芸の上達を願い、祭壇に糸や針、布などを供えてお祭りをするというものです。 「乞巧奠」(きこうでん)の行事が伝えられる以前から、日本のこの季節には「棚機津女」(たなばたつめ)の信仰がありました。 毎年稲の開花時期に合わせて、神様を迎えて豊作を祈り、村の人々の穢れを清める古代日本における「禊」(みそぎ)の行事であり、「穢れ」(けがれ)を祓う行事です。主に農村部で盛んに行われていたと言われています。「棚機津女」(たなばたつめ)とは、人里から離れた水辺に懸造り(かけづくり)の機屋(はたや)に籠って、機織りをして神様をお迎えする乙女(巫女)のことです。身体を清めるために沐浴を行いました。そういったことから、現在でも「七夕」の日に、女性が髪を洗ったり、水浴び、井戸の大掃除「井戸浚い」(いどさらい)や墓掃除、牛馬を洗うといった水に関する伝承が日本のあちらこちらで数多く見られます。この「棚機津女」(たなばたつめ)から、七夕(たなばた)という名称になったとされています。 日本ではこの七夕の日が農作物の豊作を祈願する日として定着し。短冊に書く願い事も、昔の「技芸の上達」「裁縫の上達」に関するものだったとも言われています。 中国から伝わった星祭りが奈良・平安時代には宮中行事に。江戸時代に五節句の一つとなり、日本独自の進化を遂げました。 「乞巧奠」と「棚機津女」が合わさった感じなんですね… 2025年の七夕イベント・催し物 ●横浜七夕祭り2025 in 山下公園 開催日:7月5日(土)・6日(日) 時間:10:00~21:00 会場:山下公園および横浜マリンタワー前広場 内容: 「スカイランタン」 が夜空に浮かぶ幻想的な演出と、 「天の川プロジェクションマッピング」「グルメエリア」 や、立ち飲み屋台、ワークショップが展開される横浜で初の大型イベントが開催されるようです。 転用:神奈川県観光協会 横浜七夕祭り2025 in 山下公園 https://www.kanagawa-kankou.or.jp/event/7116 ● 湘南ひらつか七夕まつり 期間:7月4日(金)〜6日(日)  時間:11:00〜20:00(最終日は19:00まで) 会場:平塚駅北口商店街周辺 内容:日本三大七夕祭りの一つ。 まつりの主役である豪華絢爛な七夕飾りは100本以上 の笹飾りが並びます。 露店は東海道本通り(オーケー平塚店前交差点からまちづくり財団前交差点までの間)に約100店舗を予定されています。 転用:平塚市役所 湘南ひらつか七夕まつり https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/kanko/page-c_01099.html 現代の日本人は七夕に何をしたら良い? 短冊に願いを書くことは、昔の「技芸の上達」「裁縫の上達」に関するものだったとも言われています。健康、学業、仕事、恋愛、趣味など思い思いの願いをカラフルな短冊に綴り、笹や竹に結びつけ、地域のお祭りに足を運ぶのは、街の賑わいと文化を感じる絶好の機会ですね。夜の星空を眺め、夏の代表的な星座「織姫星(ベガ)」と「彦星(アルタイル)」を探すのも趣きがあります。 まとめ:星に願いを――七夕という“祈り”のかたち 七夕の夜、天気が良ければ、夏の星座が澄んだ空に瞬く星々が見えます。そのなかに、遠く離れてもなお互いを想い合う、 ベガとアルタイルを思う と、今年も夏が来たな〜と感じるところです。短冊に書いた願いは、紙とインクの単なる言葉ではなく、日々を生きる私たちの希望そのもの。誰にも言えない夢、まだ叶っていない約束、あるいは、守りたい家族の笑顔――七夕は、そんなひとつひとつの想いにそっと光をあててくれる日なのかもしれませんよね。現代は便利になり、空を見上げる時間さえ惜しいほど慌ただしくなりました。でも一年に一度、こうして夜空に願いを託す日があること。それはきっと、私たちの心の奥にある“祈る力”を思い出させてくれる、大切な風景となると思います。

  • 心を清め、季節をくぐる——夏越しの大祓いは茅の輪をくぐりぬけ「半年の厄」を脱ぎ捨てる日|日本人のこころに宿る夏越しの祈り

    今年も早いもので、6ヶ月が過ぎ半年が終わろうとしています。 「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」は、1年の折り返しにあたる 6月末(新暦では6月30日) に行われる、日本の伝統的な神事です。上半期に知らず知らずに溜めてしまった 罪穢れ(つみけがれ)や災厄 を祓い清め、下半期を不安なく健康に過ごせるように と願う祈りの儀式です。 夏越の大祓とは? 大祓(おおはらえ)のはじまりは? この「大祓(おおはらえ)」には、6月末の「夏越の大祓」と、12月末の「年越の大祓(としこしのおおはらえ)」がありますが、夏越しは1〜6月の半年間の身の穢れを祓うものであり、年越しは7〜12月の半年を祓うものです。 神話に基づく由来も深く、創始は 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が禊祓を行った故事 に遡ります。また、素戔嗚尊(すさのおのみこと) と蘇民将来(そみんしょうらい)の神話において、茅の輪(ちのわ)を腰に巻くことで疫病から逃れたという信仰から、茅の輪くぐりの風習も広まりました。 心身の穢(けが)れ、罪や過ちを祓(はら)い清める「大祓」の神事のことです。全国の多くの神社では、6月と12月の晦日に「大祓式」が行われます。  6月30日は、「夏夏越の大祓」12月31日は、「年越の大祓」とされています。6月30日に行われる夏越の大祓では、今年の前半を無事に過ごせたことに感謝するとともに、半年間の罪や穢れをお祓いし、残り半年も清らかな気持ちで過ごせるよう願う神事が行われるます。 茅の輪をくぐるとき、何を清めるのか? 茅の輪くぐり 茅(チガヤ)で作った直径数メートルの大きな輪を、「水無月の夏越の祓する人は、千歳の命延ぶといふなり」 と唱えつつ、八の字を描きながら3回くぐる のが一般的です。作法は、参道を進んでから茅の輪を左→右→左と三度くぐり、本殿へお詣りします 。 形代(人形)での穢れ祓い 紙や麻で作られた形代に 自身の名前・年齢を書き、身体を撫でたり息を吹きかけたりして穢れを移す。その後、川に流したりお焚き上げしたりして厄を祓い清めます。 まとめ 上半期の終わり、蒸し暑さが増しはじめる6月末。日々の忙しさの中で、私たちは知らず知らずに疲れや不安、さまざまな「穢れ」を心と体にまとってしまっているのかもしれません。そんなとき、静かに佇む神社の境内で、茅の輪をくぐり、形代に自分の想いを託す――そのひとつひとつの所作には、先人たちが千年以上守り続けてきた「祈り」が息づいています。心身のリセット、情報過多やストレスが多い現代、半年ごとに "デトックス" する意味は深いものがあります 。地域・神様とのつながり、氏神様に感謝し、地域との結びつきを再確認する機会になります。形代や茅の輪などの体験要素、参加型の儀式は、見学だけで終わらず、実際に体感しながら "清め" のプロセスを自分で行える貴重な体験だと思います。夏越しの大祓は、ただの儀式ではありません。それは、自分自身を見つめ直す時間であり、日々の営みに感謝し、これからを健やかに歩んでいくための再出発の瞬間です。古来から続く日本人の美意識と信仰のかたちが、今も私たちの心をそっと包んでくれる。6月30日、あなたも静かに足を運んでみませんか?きっとそこには、忘れかけていた「何か」と出会えるはずです。

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